2015.09.06. 佐渡国際トライアスロン大会 参戦記

 今回は、昨年4月の"全日本トライアスロン宮古島大会"に出場して以来、久しぶりのトライアスロンだった。左アキレス腱痛のため、充分なトレーニングが出来ていなかったのと50歳という年齢なので、少々不安を抱えながらもワクワクして臨んだ。

 この大会は第3回大会に出場して以来10回目(全て完走)だが、30代後半からは毎年申し込んでいる。落選する年もあったが、ほぼ年中行事になっている大会だ。

 24年前に初出場してから今まで参戦してきたレースを懐古しながら長い一日を充分に楽しむことが出来た。

 この大会のコースと距離は度々変わってきたが、今回のコース (リンク先:大会hp)は、

・swim:周回コースで三角形を2周する、と言うよりもUターンのイメージ。浜から沖に向い最初のブイを曲がると150mだけ浜と並行に泳いで次のブイを曲がってスタート地点に帰ってくる。これを2周する3.8km。

・bike:佐渡ヶ島を一周する190km(ハワイのアイアンマンレースよりも10km 長い)。

・run:今回は初めて周回コースになった。フルマラソンよりも5m 長い42.2km 。

 Aタイプのこのコースを、朝6時にスタートし日が沈む頃まで11時間50分かけて、

「全身で、佐渡ヶ島の波しぶき(は立っていなかったか)と、風と、太陽‥よりも雨粒を満喫した」

のであった。

【レース】

 swim は、予想以上のバトルになった。コース幅を狭く絞られていたせいだと思うのだが、周囲を囲まれ抜くに抜けない状態で300mぐらいは「順番」に従って進むことにした(体力を温存しようと2ビートで)。頑張れば3.8km を1時間10分ぐらいで泳げるのだが、そうしないで余裕を持って泳いだ。半日がかりの大冒険を、3種目を通してイーブンペースで展開しようと決めていたからだ。1周目はずっと空くことはなかった。時折上に乗られたり、蹴られたり‥腕がぶつかることは数えきれないほどだった。2周目になるとだいぶ泳ぎやすくなったが、無理に飛ばさない。6ビートを使ったが、1/3近くはハーフキックを入れての4ビートで心拍数を上げないようにして余裕を持ってswim を終えた。浜に上がって時計を見ると1時間15分。楽をした割にはそこそこのタイムだった。

 トランジットからbike に移ると、先ずは補給。固形物はbike で摂る。早速背中のポケットからレジ袋に入れたカロリーメイトのブロック20本(2,000Cal )を取り出し、そのうちの4本を一気に食べた。時計は7時20分。以降1時間ごとに2本づつ摂ることにした。

 bike は意外と空いていた。swim ではあんなに混雑していたのに‥

 気になる様な風は吹かなかった。平地では36~37km/hを超えると意識的に抑えた。今回、bike の180km以降(ラスト10km) で30km/h を出せる脚を残すことも目標の一つにしていたので、とにかく体力温存を心掛けた。

 前半は大佐渡の海岸線を走る。一部にかろうじて青空が覗く曇り空の下、猛々しい岩肌と(濃い濃い)2藍色の海と山の緑を眺めて佐渡の風景を満喫した。点在する集落に入る毎に沿道の応援が暖かく迎えてくださった。軽く手首を振って、極力応えようと心掛けながらペダルを回した。

 "佐渡トラ"の名所、一気に100mを2回折り返して登る通称「Z坂」(70km辺り?)を迎えると、ここでも体力温存。ゆっくりと登る。折り返しで眼下のコースを振り返ると後続の選手が蟻の列のように見えた。いつものことだが、登りではどんどん抜かれたが気にせずに、心の中で

「トライアスロンはbike だけじゃないヨ。run で抜いてやるからナ!」

「ここで無理すると、後で脚が止まるヨ。」

っと、つぶやきながら遅い自分を擁護した。

 そしてもう一つの名物(?)。ここ「Z坂」の上とrun の「田んぼの中」とで声援して下さるオバちゃんの声が聞こえてきた。手を振りながら近づくと、

「オバちゃん、いつも有り難う!また後でネ!」

っと、言いながらハイタッチ。本当に感謝!

 元気を頂き、レース前に応援して下さった方々のことも思い出す。そして安全にも注意!

 トライアスロンは事故が少なく無い。ワタクシ自身、bike でヒヤリとしたことが何度かある。ここからは長い下りとカーブが続くので要注意だった。

 下り坂は得意である。コース取り、減速・加速のタイミングや車体の傾け方がイイのだろうか(いわゆるセンスか? f(^_^メ) )?安めのマシンだがハブだけはデュラエース!良く回る(これが一番の理由だろう)。

 そうは言っても、前の選手がカーブに差し掛かっていては追い抜けない。そこは安全第一なので、ゆっくりと前の選手に続くしかなかった。

 大野亀(70km辺り:ここでも100mほど登る/佐渡ヶ島の北端近く)を過ぎると、細かなカーブとアップダウンが繰り返される。周囲の選手を抜いたり抜かれたりしながら両津へ向かった。

 90km辺りからは平地が続く。ここでイーブンペースを再確認しながら無理の無いペースで33km/h 前後をキープする。一人、二人とペースダウンする選手を追い抜いた。

「ほらネ。オーバーペースだったでしょ?」

っと、心の中で自分を正当化した。

 そして両津、応援が増えるが今回は若干応援して下さる方々が少ないような気もしたが(バブルのころはワンサカと‥)、それでも有り難い!

 そして小佐渡へと進んだ。ここからは平地とアップダウンが集落ごとに繰り返される。そして、予報通りに雨が降り出した。

 過去のレースを振り返ると、この辺りから脚が回らなくなってくることが多かったのだが、今回は順調だった。相変わらず登りでは追い抜かれていたが、平地では30km/hを上回っていた。

 いつしか雨は本降りになっていた。前後の選手との距離が開き、沿道の応援も少なくなると少々心細くなったが、これもいつものこと。この辺りまでレースが進むと選手同士の間隔が開いてくるのだ。雨降りだが気温が高くないので体力的には楽だった。しかし、発汗量が少ない分トイレは近くなる。若い頃はbike に乗ったまま用をたしていたが、三十代半ばからはトイレに寄るようになった。普段の倍近く溜め込めるのだろうか?恐ろしいほどの量!?そして時間もかかった。

 カロリーメイトはキチンと1時間ごとに補給していたので、背中のポケットの盛り上がりは半減し出し入れし易くなっていた。

 赤泊(148km)を過ぎ小木(161km)へ向かう頃になると、run に備える。補給の固形物はそろそろ終わりにしなくてはいけない。残りのカロリーメイトをまとめて摂るようにした。途中のエイドステーションではバナナを4本、おにぎり1個を摂り飲み物でもコカコーラを摂っていたので、bike で少なくても2,500Cal 以上は摂取しているハズだった。

 さて、bike も終盤に差し掛かる。小木からの登り坂が始まった。ここまでもそうしていたのだが、長い登りに入る前はボトルの中身を捨てて少しでも軽くした。ボトルは2本携行していたが、1本は空、もう1本は半分以下に減らして坂を登った(どれだけ違うのかは自覚できないが‥)。

 ここでは120m 登ってチョット下り、続けて登って結局140m を登る。

 例年応援団が出て賑やかな所なのだが、今回は雨のせいだろうか、誰一人応援がいなかった。まぁ、こんなこともある。‥年々大会の盛大さ、華やかさが無くなってきているように感じていたが、今回は雨降りのせいだろう('90年代と比べると、スポンサーも激減し参加賞もショボクなったなぁ‥NTT-GIRLとかもいたっけ)‥

 赤カボチャが並べられた家の前を通る。毎年カボチャが可愛く並んでいるのだ。そして下りが続きスピードを楽しむ!65km/hは軽く超えていた。そう言えば、ワタクシは子供の頃からスピード狂の気があるようだ。他の選手が減速していても直線を見つけては遠慮無く追い抜いた。長めの登り坂を2つクリアして最後の下りを楽しむと残りは10km 少々だ。ここでボトルを空にした。bike ラストスパートの始まりだった!

 ここから30km/h をキープするのが今回の一つの課題。果たして脚は回るのか?

「回る!回る!」

 35km/h は厳しかったが、30km/h は保っていた。残り20分ほどこれを続ければイイと思いながら、run で潰れないかも確認していた。これは感覚に頼るしかなかったのだが、これならイケルと思いペダルを回し続けた。

 bike finish のメイン会場が近づくと、runコースと並行する。Bタイプの選手が走る隣を気をつけながら通称「アストロロード」まではグングン飛ばした。そして「アストロロード」で減速し降車、bike ラックへ向かった。トランジッションで足にワセリンを塗ると、既に足はフヤケていた。run でクツ擦れしないように足全体に多めに塗り、ソックスを履いた。サングラスは置いてエネルギージェルを背中のポケットに入れてrun コースへ向かった。

 走り出してすぐに公衆トイレへ立ち寄った。ここでも信じられない程の量が!?タイムロスは気になったが、こればかりは仕方無い。用を終えると時計は午後2時10分だった‥総合タイムで12時間ぐらいかなぁ?

 走り出してすぐ、商店街でボランティアが飲み物を渡しているのを確認すると、早速エネルギージェルを飲み込む。水を貰って口をすすいだ。

 レース前にrun は4時間を切れば良いと考えていたが、雨降りで気温が高く無いので3時間50分は狙えるだろうと考え直していた。左アキレス腱痛で週1回前後しか走っていなかったので自重したのだが、フルマラソンだけよりも1時間以上遅い設定タイムだ。

 幸い、左アキレス腱は痛まなかった。トレーニングを控えたお陰だろうか?bike の筋肉の使い方からrun の筋肉の使い方に慣れるまではゆっくりと走った。フォームを確認すると何故か左右のバランスがシックリ来ない。重心が右寄りに感じられたのだが、なかなか修正出来なかった。bike のダメージもあったのだろうか?フォームに集中したが、脚の動きがなかなかrun の動きにならないまま前へ進んだ。そんな状態だったが5km 過ぎのエイドステーションでは普通に走れるようになっていた。

 ここで、このコースには5km毎の距離表示が無いことに気付いた。周回コースになったためだろうか?5km毎の表示が無いとペースが分からない!?仕方無いので割り切って感覚に頼り、時計を気にせずに走ることにした。

 さて、あのオバちゃんが約束通りいつもの「田んぼの中」で応援してくださっている所へ来た。

「行って来ま~す!これから2周するからネ!」

っと、っと言って走り続ける。オバちゃんの応援でついついスピードが出てしまうが、まだまだ序盤なので押さえるように気を付けた。

 この辺りから、脚がrun に馴染み体調も把握出来てきた。時計には頼らずに感覚的にペースを確認するのだが、この方がかえって良いのかもしれないと前向きに受け止めていた。

 これもいつも通り、run に入るとドンドンと前の選手を追い抜いていたのだが、Bタイプの選手が多かった。Aタイプの選手も追い抜いたが1周目の選手なのか2周目なのかは分からない。そればかりか、トップ選手が誰なのかも分からない!?いつもならばトップ選手は先導車に続いて来るのだが、今回はそれも無かった(トップ選手とすれ違う時は拍手して賞賛を表すのだが出来なかった)。

 雨は小降りになっていたが、キャップは濡れヒサシは水を含んで重くなりズレて下がってきたので後ろ前に被り直した。

 トレーニング不足のため感覚が鈍っていたようで、最初の折り返しまでが長く感じた。そしてその10km 過ぎの折り返し、これでrun 1/4 だ。まだまだペースを上げ過ぎないように気を付け、抑え気味にダメージを受けないようにフォームをチェックした。

 平坦が多いコースなので走りやすい、一定のペースで淡々と機械のように走り続けていると、追い抜いた選手が背後について来た。ワタクシをペースメーカーにしたようだった。実はこの選手、折り返しの前でワタクシをスンナリと追い越して行ったのにその後ペースダウンしてワタクシに追い抜かれたのだが、5分以上くっ付いて来たあたりで横に並んで、

「イイ、フォームですネ。」

と話しかけてきた。

「イエ、イエ。まだまだです。」

と答えたが、フォームはイイと自覚しているので(買い被り?)、

「この選手って見る目があるのかなぁ?」

っと思っていたら、その選手はついて来れなくなっていた。

 自分がついて行けない選手に向かって、「イイ、フォーム‥」ナンて‥

‥ワタクシには言えない‥

 1周目を終えると、残り半分となる。ここからは、

「出し過ぎないように!」

から

「遅れないように!」

っと、意識を変えた。

「このまま行けば12時間を切れる。」

 この大会で12時間を切ったのは’96年の1度だけ、31歳の時以来になる(この時はs-3.9km,b-190km,r-42.195kmでswim が現行よりも長かった)。脚が止まらなければ大丈夫なので、潰れないペースで前へ進んだ。

 2周目の折り返しでrun 3/4が終了。後、1時間ほどでレースが終わると思うと寂しい感じもしてきた。

 脚は動いていた。もう怖がらずにペースアップ出来る所までやって来たのだと思うと12時間切りでは無く11時間50分切りがチラツイテきたが、タイムへのこだわりはあまりなかった。もう一度トイレで普段以上に時間をかけて、スッキリしてからラストを楽しんだ。

 今日、一日を振り返ったり、応援して下さった方々を思い出す。そして感謝。

 毎回この辺りで「走れメロス」を思い出すのだが、今回はシチュエーションが違っていた。夕日は全く顔を見せず、そればかりか暗くなったので反射タスキを渡された。

 久しぶりのトライアスロンで思うようにトレーニング出来なかったのにも関わらず、しっかりとラストスパート出来ていた。明らかに周囲の選手とスピードが違っていたが、これがイメージしたレース展開だった。

 「アストロロード」を駆け抜け、キャップを外し胸のファスナーを上げフィニッシュに備える。グラウンドに入りコーナーを曲がると前方に同伴フィニッシュしようとしているグループが立ちはだかっていたので、

「先に行くヨ!」

っと叫んでコースを譲って頂いた(同伴フィニッシュはレース優先にするようにされていた)。

 フィニッシュテープを勢いよく切って、振りかえって一礼した。

 あっという間の長い長い11時間50分05秒だった。

 

 今回は、2次抽選で当選しての出場だった。出場出来たことに感謝し、ボランティアの皆様、大会関係者の皆様、応援して下さった皆様には心から

「有り難う御座いました。」

っと申し上げお礼致します。

 また、一緒にレースした選手の皆様。初めてお会い出来た facebook friend(この方はアンクルバンド紛失のため公式タイムが出なかったようですが、実質は総合10位!!) 、お互いに賞賛を讃え合いたいと思います。

「健闘、敢闘、素晴らしい仲間達、万歳!!」

 

   swim    1:16:49

   bike      6:51:25

   run       3:41:51

   total    11:50:05(大会自己最高記録)

   順 位  84位(男子:82位/年齢別・50-54歳:9位)

       リザルト(リンク先:大会hp)

↓↓↓↓↓ 撮影:コスギフォト ↓↓↓↓↓

コメント: 4
  • #4

    栗田 浩三 (火曜日, 29 9月 2015 07:34)

    (火曜日, 29 9月 2015 07:30)
    コメント削除
    アルフェッカさん、
    有難うございます。こちらこそ大変恐縮です。
    こんなに褒められたことはありません。
    益々、精進したいと思います。

  • #3

    アルフェッカ (火曜日, 29 9月 2015 07:01)

    恐縮ですが…「イイ、フォームですネ。」と褒めて下さった選手に賛同いたします。私は皇居を1周40分位かかって走っているのか歩いているのかわからないほど遅く、ただ20年以上は皇居に通う亀さんランナーです。亀さんなのに大変恐縮とは思いますが、時々、栗田さんが皇居で走っている姿と5年以上前になると思いますが、東京マラソンで応援をしていたらたまたま栗田さんが走っていらっしゃる姿を拝見いたしました。明らかに(目立つほどに)「イイ、フォーム」だと思います。ご自分の走るフォームを他の人と比べて客観的にみるのは難しいと思いますが、足の着地方法や運び…などの難しい事はわかりません。栗田さんのフォームで特徴的なのは上半身のブレが全くありません。プロフィールを見ると競技スキーを子供の頃にされていた様子…と言うことは、あの激しく変化する身体の回転軸を即座に判断して対応する訓練を子供の頃から身体にしみこませているのでしょうか。それとも体質的に体幹が強いのでしょうか。走っていても下半身の動きに左右されることなく身体の軸がまっすぐです。数多い皇居ランナーの中で「イイ、フォーム」の数人…の中に入るお一人だと思います。栗田さんの走る姿を見たことが無いランナーさんはどうぞ一度見てください。「イイ、フォーム。」に賛同したくなると思いますヨ。

  • #2

    栗田 浩三 (土曜日, 12 9月 2015 17:42)

    とろとろアスリ~ト さん、
    コメント有り難うございます。
    ワタクシ自身、50歳で自己ベストとは、
    「今まで一体何をしていたのか?」
    って、思ってしまいますが、やはり経験がモノを言うのしょう。
    ワタクシの場合、ロングディスタンスでは、
    「run を速く走ると総合タイムも速くなる」
    ので、swim ,bike は思いっ切って
    「出さないように我慢」
    してみました。たまたま今回は成功しましたが、いつもこうなるかは疑問です。
    ‥参考になれば幸いです。

  • #1

    とろとろアスリ~ト (土曜日, 12 9月 2015 15:57)

    さすがベテランだと感服いたしました。50歳で12時間切りは素晴らしいです。目標にしたいと思いました。
    佐渡大会の様子をリアルに思い出すことができて、読んでいて自分のレースを振り返ることができましたが、自分は夜になって大雨の中でのゴールだったので栗田さんとは一味違う思い出のレースになりました。
    やはり、速くゴールするのがポイントですね。
    自己ベスト更新、おめでとうございます。


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